#1 はじまり

 

我々の暮らすこの宇宙にも「はじまり」があった。らしい。 らしい、というのはつまり観測などによる証明がなされていないからだ。誰も見た事がない宇宙のはじまり。そう、ビッグバンだ。 短く説明すると、”現宇宙に存在する全ての物質とエネルギーが1カ所に集まった状態”が過去に存在し、その混沌がある日爆発・膨張しこの宇宙は作られた―という現象だ。 この爆発を引き起こしたのはブラックホールなのではないか、という説がある。

 

我々の住む地球は太陽系に属しており、太陽系のような他の惑星系や星々がそれこそ星の数ほど集まって天の川銀河を構成している。夜空を見上げると見える天の川は、円盤状の銀河を横から中心に向かって見ているからああいった細長い見え方をする。 その天の川銀河の中心部には「いて座A*」(いてざ エー スター)という光点が存在し、この「いて座A*」こそ、大質量ブラックホールであると考えられている。

 

つまり銀河は中心部にあるどでかいブラックホールの重力に引き寄せられて構成されているのだ。これは天の川銀河だけではなく、地球から肉眼でも見えるアンドロメダ銀河なども例外ではない。 このアンドロメダ銀河は相対的におよそ秒速300キロメートルで地球に接近し続けている。新海誠も驚きの速度である。この我々に急接近し続けるアンドロメダ銀河は、およそ40億年後には我々の天の川銀河と衝突するようだ。こういった事は宇宙の至るところで繰り返されている営みにすぎない。 我々の天の川銀河やアンドロメダ銀河もいずれゆっくりと時間をかけてブラックホールの餌となり、最終的に空間に存在する全ての物質がブラックホールに食べ尽くされ、それが均衡を崩し爆発した現象こそビッグバンなのではないか、という話だ。

 

そうして、また全ての物質やエネルギーが爆発により拡散され、新しい宇宙を形成する。その膨張と収縮を無限に繰り返し続けてきたのが宇宙であり、何千・何万回目かは定かではないが、次の爆発を待つ”凪”の今が現宇宙であるとするわけだが、あくまで一説である。 それにしても気が遠くなるような繰り返しの時間である。10分超えのミニマルテクノでさえ瞬き程度に感じてしまうだろう。

 

だがこのビッグバンという現象、実際に起きたかどうかは全く定かではない。現状人類が有する知識と情報を使って、観測できる範囲の宇宙について説明しようとすると「そういう爆発があった事にすると矛盾が少ないんですよ」くらいの話なのだ。 世界中の友人と画面越しにお酒を飲んだり、話しかけるだけで家電を制御してくれる”電子的な使用人”が一般家庭に普及しはじめたこの近未来的な現代社会でさえ、未だ「はじまり」は曖昧なままである。

 

この曖昧な部分が気になった人は某web百科事典で現代宇宙論・一般相対性理論・インフレーション理論あたりを一読してみるといい。ボリュームと文面からしてサイレース要らずの睡眠導入薬である。曖昧にさらに拍車がかかるだろう。

さて、そんな曖昧な宇宙のはじまりだったが人類はどうだろうか。

 

微生物が魚になり、陸に上がれるトカゲになり、地面を歩いたり空を飛んだり木に登ったりしているうちに猿になり、そこからはあっという間だった―というのが現代では常識とされるダーウィンの進化論である。この説もつい200年ほど前までは異端扱いだった訳だが、この進化論における重要なポイントは、「淘汰」と「進化」による適応だ。 環境の変化や天敵の出現によって淘汰され、進化を促される種が混在し、偶然か必然かその生存競争に適応し生き残った種の末裔が我々人類である。

 

「井の中の蛙大海を知らず」という諺のように、井戸の中で暮らすカエルは海を知らず、海でしか生きれない魚は陸の事を知らず、陸でしか生きれない人類もまた宇宙の事を知らない。 今まさに疫病という地球からの淘汰攻撃を受けてはいるが、地球上において天敵の存在という進化のきっかけを失った人類は、天敵の居ない島で飛ぶ必要が無くなったために飛行能力を失った鳥や、警戒心が薄れて人間の接近を許すようになった動物園の動物ようにゆっくりと退化していくであろう。 それが自然の摂理である。それを合理化や適応と呼ぶ場合もあるが、たいていの場合そういった競争や食物連鎖の埒外の種を待ち受けるのはゆるやかな衰退と絶滅である。

 

人類がさらなる進化の機会を得るには、母なる地球から親離れし、宇宙空間や別の惑星といった新しいステージでの生活を始める or 強いられる事がきっかけになるように思える。 そんなポテンシャルを秘めた人類はもしかすると、あと数回のパラダイムシフトを経ただけでテレパシーや超能力の獲得、重力の制御(つまり時間移動)や宇宙人・上位存在とのコンタクトなんて事も実現させるかもしれない。”ニュータイプ”発生の土壌はこの宇宙に広がっているのだ。

 

そして「おわり」がやってくる。らしい。この駄文にも、この宇宙にも。 今回「はじまり」を主題に書いたこの記事で何を伝えたかったのかというと、つまり普遍性など長くは続かないという事だ。いつのまにか新しい事象は始まるし、あなた自身で創める事も可能だ。

 

今日の常識は明日の非常識である。 人生がはじまり、多くの苦難や幸福が待っている事だと思う。だが生まれてきた意味なんてものは存在しないと筆者は考えている。生まれた時点で成功しているのだ、あとは好きにしたらいい。そんな事思い悩んでていいのは中学生までだ。 今を生きて楽しむ事こそ生まれる事に成功した我々の特権であり、連綿と受け継がれてきた人類の営みの本質ではないだろうか。 宇宙が誕生しておよそ138億年らしい。13,800,000,000年だ。人間の寿命なんて多目にみてもせいぜい120年くらいだろう。無駄な事に固執している暇はない事に気付かされる。

 

“疑う”そして”思考する”という行為はとても崇高な儀式だ。ここから実在論や普遍論争にまで触れる気は無いが、身の周りの常識を疑い限界や諦めを持たないようにする事を―特にアーティスト諸君には―ゆめ忘れないでもらいたい。 ただ生きる事だけを目的とするならば不要であるにもかかわらず、学ばずとも絵を書いたり音楽で踊るといった本能的な行為を昇華させるアートこそ人類文化の真髄であり、未だ解明されない宇宙の真理へのひとつの扉に思えて他ならないからである。

 

感覚は欺かない。判断が欺くのだ。 (Johan Wolfgang von Goethe / 格言と反省 より)

 

蔵書の中から引用したこの一文をもって、最後の挨拶と代えさせて頂きたい。

Estoy Ukaus
東京都出身。John Titorとは父方の従兄弟にあたる。
執筆業やLSDの精製、自転車の窃盗などで生計を立てている。
愛猫の名前はピート。好きな数字は”42”。

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