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AINTO solo exhibition

"MORE LABELS"

A.N.D. gallery (ex.ANAGRA)

2022 7.1 fri - 7.10 sun

weekday 15:00-22:00

holiday 14:00-21:00

A.N.D.の地下室にあるA.N.D.galleryにて、東京を拠点に活動するAINTOによる個展"MORE LABELS"を開催致しました。

普段は街をフィールドにしているAINTOが地下室に潜りその地下空間すべてに手描きのタグステッカーを貼るという、もはや写経のような、念のような、常軌を逸した空間となりました。そんな彼が思うグラフティとはなんなのか、なぜグラフティの魅力にハマったのか。色々と質問してみました。

〈statement〉

私は街に名前を残すにあたり、"印刷"ではなく"手書き"のステッカーにこだわる。それはすなわち写経と同じく一枚一枚の紙に魂を込める行為だ。同じ文字の羅列だが全く同じものはこの世に二つとして存在しない。時間と手間をかけて街を埋め尽くしていく。それは街であろうが屋内であろうが変わらない。

〈profile〉

AINTO

2010年代初頭から東京の都市の中で街の壁を観察し続け、現在に至る。私が東京におけるグラフィティシーンの中で特に重要と考える"タギング"という手法をメインに作品を制作している。

まず、自己紹介をお願いします。
AINTOです。エイント、アイント、色んな読み方で呼ばれてます。正直読み方はなんでもよくて、もはや自転車の形として認識されてる人もいるのですが、ぼくのことを知ってさえいてくれてれば全然なんでも大丈夫です。

グラフティとの出会いを教えてください。
ぼくは東京の中心ので生まれ育ったのですが、通ってた中学校に毎日行き帰りするときに同じ道を毎回通るのが嫌で、毎日違うルートで帰っていました。そんな時、朝に学校に向かっている時に昨日までは無かったであろう大通り沿いの壁に大きなスローアップが増えていて、それが本当に衝撃でその前で数分間立ち尽くしていたのを覚えています。当時はそのスローアップの読み方すら分からなかったのですが、クルマや通行人がバンバン通っている壁に書かれたそのパワーや迫力にヤラれたのだと思います。
それからというもの、毎日中学の行き帰りの道中は常に壁や電柱を見ながら歩くようになりました。通っていた中学は繁華街にある学校だったので、気にして歩いてみると、昨日まではなかったステッカーやタグなどが意外にも多いことに驚きました。実はぼくの知らない間にこんなにも路上で遊んでいる人間がいたのか、こんなにも面白いことに気付かずに生活していたのかと衝撃を受けました。それが自分のグラフィティへの入り口です。

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グラフティのどのようなところを愛していますか?
グラフィティは、いつでもどこでも、自分の名前を街中に残すゲームだとおもっています。ここに自分のタグを書きたい、ステッカーを貼りたいという欲望は、カネや誰かに認められたいという為にやっている訳ではなく、単純にそこの場所が気に入ったから、他の好きなライターの名前もあるから並べたい等、非常に単純明快な理由です。
似た例で言うと、幼稚園生や小学生がチラシの裏にクレヨンなどで描く絵も同じように、彼らも誰かに認められようとして描いているわけでは無いと思います。その純粋な「絵を描きたい」という衝動は大人になるにつれ、徐々に金や権力や名誉などの余計なことを覚えていき、忘れていきます。グラフィティはそういう余計なモノに左右されている訳ではなく、非常に純粋な衝動です。ぼくはそれが非常に美しく、儚く、綺麗だと思っています。グラフィティの愛しているところなんて数え始めたら無数にあるのですが、今ぼくがパッと思いついたのは、そんな感じです。

今のスタイルになったきっかけはありますか?(誰かとの出会いや、影響を受けたものなど含め)
グラフィティライターには大まかに分けてボマー、タガーと分けることができます。ボマーとは街中に大きな塗りスローアップをたくさんボムしていくライター、タガーとは街の隙間やあまり目立たない場所にタグをたくさん書いていくライター。
ぼくの場合はボマーではなくタガーというジャンルに割り振られると思うのですが、単純にタグを書くのが昔から好きだった、というのが理由です。


ぼくは東京で生まれ育ち、遊んできて、東京のあまりの人や防犯カメラの多さの中で、どう自分の名前を街に残していくか考えた時に、スローアップを1つ書くよりタグを50個、ステッカーを100枚貼った方が影響力があるなと思いました。東京では職務質問をされた時にスプレー缶を持ち歩いているだけでリスクになってしまうし、それならステッカーやマーカーだけで街中を攻めよう、と。
もちろんそんな東京の中で塗りスローを書いているボマーの先輩方には頭があがりません。

・尊敬しているライターはいますか?それはどのようなところですか?
名前をあげ出したらキリがないです。強いて言うなら、いつも一番近い場所で色々なことを共有できるCAMS、SOL1、MIND、SOARです。
また、東京というカオスで混沌とした街で活動してるライターは全般仲間だと勝手に思っています。ぼくらグラフィティライターの敵は、おかしい方向に向かっているこの現代社会、大きな意味でのバビロンだと思っているのでライター同士ビーフしている時間など無いと思っています。
また、ライターではないですがぼくの周りでいつも良い刺激を与えてくれるスケーターやDJ、ラッパーや絵描きなど、自分のことを上手く表現している人たちへはビッグリスペクトしかないです。

 

 

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普段は街で活動していると思いますが、ギャラリーという室内での展示をしようと思ったのはなぜですか?
自分を表現するということにおいては路上でもギャラリーでも特に変わらないと思ったからです。作品という点に置いてはステッカー1枚でも時間をかけて描いた絵でも、ぼくは同じだと考えます。直接的な違いはただ、それをギャラリーの空間の中にどう配置するか、はたまたどこの電柱に貼るか、それだけです。
街中では時間をかけて書けないものも、ギャラリーではトラブルなく自分の作品を他の人に見せることができます。
そのようなお互いのメリットデメリットを上手く活用していこうとしたら、ギャラリーでは作品を飾る、という手段に行き着いただけです。

 

 


今回A.N.D.で開催した個展”MORE LABELS”のことを教えてください。
ぼくは昔から人一倍タグやステッカーに対する情熱があって、その病的な熱意をいつか空間の隅から隅まで展示出来たらな、と思っていました。せっかくやるなら普通のギャラリーではつまらないなと思い、色々探していた時にたまたまa.n.d.から声をかけていただき、開催に至りました。a.n.d.の地下室はビルのB1のフロアからさらに地面の底に潜り、内部は全面コンクリート張り、という特徴的な空間です。リアルアンダーグラウンド、かつ広さも狭過ぎず広過ぎず、ちょうどいいと思い、選ばさせてもらった形です。
今回の展示空間は、普段街に貼っているステッカーと同じく、一枚一枚、全て手書きです。これには、写経と同じくステッカー一枚一枚に魂を宿すという意味が込められています。そのような経緯から、今回の展示で使ったステッカー、約7000枚は全て手書きにこだわりました。

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デザインされたグラフィカルな作品が多いですが、作品の作り方について教えてください。
作品においては、わたしの武器の一つである"タギング"という手法で一貫して制作しています。タグをオーバーラッピングして重ね、新しい形を作っています。また、自分のタグでどこまで遊べるか、というのも常に考えて作品を作っています。
グラフィティの基本の、タギングという手法は、非常に奥が深く、"タグに始まりタグに終わる"と思っています。だからこそ、簡単に書けるタグをどこまで遊んでどこまで面白く表現できるか、制作する作品を通して見る側に伝わっていただけたらと思っています。
また、作品のタグ部分だけでなくフレーム部分の木の枠も全て自らDIYで制作しています。元々ぼくは70年代のインテリア家具などが好きで、知らず知らずのうちにアンティーク家具の雰囲気に寄っていっていた気がしています。初期の頃は角材を切って塗装していただけだったのですが、最近はニス塗りやバーナーでの炙りなど、まだまだ面白い表現があると信じて追求しています。絵ももちろんですが、フレーム作りもメイン作業の一つになっていってきています。
絵の方ですが、よくシルクスクリーンと勘違いされるのですが、ステッカーと同じく一つ一つ全て手書きで書き、アナログにこだわっています。手書きだからこその線のブレや塗りのムラなども楽しんで頂けたらと思っています。

 

 

 

今後やっていきたいことなどあれば教えてください。
普段何気なくノートに書く文字や思いつきで作り出すモノなどが多くて、常に実験状態なモノばかりなので、それをしっかり作品として見せれるくらいの精度とクオリティを出して制作していきたいです。もちろん街でもしっかり遊んでインプットしていきたいです。
ボムだけでなく、究極のグラフィティを研究していくというのもやりたいことのうちの一つです。

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