延期となっていた KANEKO Shinichi 個展「ジバクの踊り」を7.31から開催します。兼子 真一は春画をモチーフに絵や彫刻を制作しているアーティストです。混沌とした日々の中、"世界が終わるまで絵を描く"というドローイングシリーズを続けていました。今の状況でしか描き得ない特別な作品となっています。是非ともお越し下さい。

自己紹介をお願いします。

 

兼子真一です。現代アーティストとして活動しています。

 

どんな作風ですか?

 

全ての物事を生み出す「関係=関わりと交わり」のメタファーとして春画の手足を引用しています。その手足のもつれあいが僕の作品の特徴で、僕はそれを「もつれあいのダンス」と呼んでいます。彫刻・絵画・ドローイングなどで表現しています。

 

 

元々彫刻を作っていたとお聞きしましたが、絵を描くようになった経緯を教えてください。

 

僕は彫刻を作っていましたが、大学はデザイン科出身です。大学に入った頃は絵を描きたいと思っていました。ただ、授業の課題ではどうしても立体の方が面白く感じて立体作品ばかり作っていました。結局、大学院では立体系に進みその流れで彫刻家として活動していました。絵自体は3歳の頃からずっと描いてましたが、自分が作品としてキャンバスにペインティングするようになったのは最近のことです。その経緯は、2013年に春画の手足というモチーフを手に入れたことで「関係」というテーマが僕の中で明確なものとなったからです。この軸があればどんな表現もブレることなく僕の作品として表現出来ると思いました。絵だけじゃなく、映像や写真や舞台や衣装などなんだって出来るぞ、と思って表現技法に拘るのを止めようと決めたんです。そして、まずは僕が出来る事からやろうと思って、今まで人に見せなかったドローイングを発表することから始めました。ドローイングだけは無限に描いてたので。そこを大学の恩師で、iichikoのアートディレクションを手掛けている河北秀也さんに偶然見つけていただいて、今ではドローイングをiichikoの雑誌広告で月代わりで使っていただいています。

ご自身のスタイルに影響を与えたと思う人はいますか?それはなぜですか?

 

不思議なことに、作品として絵を描くようになって昔の記憶が溢れてきたのですが、僕は1930-40年代生まれのグラフィックデザイナー(何故かこの10年)たちに凄く影響されていたんだなと最近気づきました。先に述べた河北さんもですが、永井一正 さん、田中一光さん、福田繁雄さん、横尾忠則さん、佐藤晃一さんなど、この時代の巨人たちの作風のインパクトとユーモアが今も僕のベースに染み込んでいます。

20歳の時、僕は福田繁雄さんの作品にハマってました。アイデアそのものが脳味噌を直撃する感じに酔いしれてました。あそこまで一直線に届くメッセージは他に見たことがないです。そのインパクトとは逆に、柔らかく包み込んでくる光が特徴の佐藤晃一さんの鯉のポスター(「ニュー・ミュージック・メディア」1974)は今でもずっと頭から離れない。僕はグラデーションを使う時あの絵を必ず思い出すんです。あと、横尾忠則さんのコラージュは異世界を覗く窓だった。僕は自分の作品同士をイメージの中でコラージュします。キャンバス作品から彫刻まで、自分の限界の一歩先へ行くために、一旦表現したものをバラしてコラージュする。異世界へ放り投げて別物にして掬い上げるんです。この時代の巨人たちから学んだことは多いですね。

 

 

 

好きなものを3つ教えてください。

 

僕はあまり好きなものとか、憧れとか持たないんです。パッと思いつかない。上記の質問を踏まえないとしたら思い浮かぶんですが…。折り畳み傘が大好きです。理由は分からないんですけど折り畳み傘に対して謎の執着があります。普通の傘は嫌いです。話が逸れましたね。

どんな音楽を聴いていますか? 

 

レディオヘッドはよく聞きます。あと、森 俊二さん(Natural Calamity/Gabby & Lopez)の出す音が僕の体内リズムにピッタリでとても好きです。

最近ですが、コロナ時代に突入して人間臭さが猛烈に欲しくなって、急にジャズを聴くようになりました。なんというかジャズの即興性が、身体から放たれた音のように感じてそれに酔いしれてます。それまで全く聞かなかったジャンルなので良い曲を教えていただきたい。

 

 

 

好きな映画は?

 

映画は休憩として見ることが多いです。

分かりやすいアクションやホラーを見て、頭を空っぽにしてます。

 

 

 

コロナが始まって描き続けている"世界が終わるまで絵を描く”ドローイングシリーズのお話も聞かせてください。

 

ドローイングは元々ずっと日課として描いてました。僕は作品のアイデアは日々のドローイングから見つけるんです。3月25日に不要不急の自粛要請が出された時に、初めて世界の終焉を想像しました。世界が同時にこの空気になることなんて初めてのこじゃないですか?。そして、世界が終わるとしたら僕は何をやってるんだろう?と想像したら、それは絵を描く姿だった。多分混乱した後、日課のドローインを描くぐらいしか出来ないだろうな、と思ったんです。この時は、やってやる!とかそんな気持ちではなく、それぐらいしか出来ないだろうという感じです。“日々の積み重ね”は最強です。世界が終わりそうなときにもその力は失われません。とにかく、その時から「世界が終わるまで絵を描く」というタイトルを付けてドローイングを描き始めました。今は300枚を超えました。本展で終わるつもりだったシリーズですが、現状を見る限りまだ続きそうです。僕は元々ドローイングに意味を込めて描きません。僕にとってドローイングは発見の場だから勢いで一気に描いて、絵の中から自分でも気づいていないアイデアを見つけ出すんです。そしてそれだけじゃなく、そこには僕が外から影響を受けたモノやコトがぼんやりと現れるんです。自分という存在は、意識しなくても外の世界からの影響で作られている、それこそ僕のテーマ「関係=関わりと交わり」によって自分も作られているから、「世界が終わるまで絵を描く」シリーズのすべては、僕自身の問題だけじゃなく、今の世の中の空気や問題も自動的に記されているはずだと思っているんです。

本展ではこのシリーズをどう見せるか悩んでいます。300枚をひとつの時代の塊として展示期間を通して表現出来たら面白いかなと思っています。今イメージしているのはロダンの「地獄の門」、そしてロダンがその際に手本としたギベルティの「天国の門」。僕は現世のもつれあいを表現しているから、天国でも地獄の門でもない、現在に建つ「ジバクの門」になるのかな。乞うご期待です。

生活はコロナ前と変化しましたか? 現在の生活について教えてください。

 

僕自身の生活は全く変わっていません。起きて制作して、散歩して、たまに制作で落ち込んだら、制作して復活します。

 

 

ジャンル問わず「アーティストやその周り」の人々の今の動き方、次のアクションはどんなものになると思いますか?

何か動いていることがあればそれも教えてください。

 

頭の良い人・行動力のある人たちはもうとっくに次の動きへシフトしていますね。ただ、今の状態でこの先がどうなるかは僕には分かりません。僕は、どんな動きにも対応できる態勢を保ち、準備を怠らないように日々制作を続けるだけです。先に述べた人たちが新たな場を作った時に、自信を持って新しい作品を出したいです。

 

 

 

「自由に外に出て人に会うことができない状況」になった時にご自身の活動の意味は変わりましたか?

 

元々人に会わないからやってることは変わらないけど、僕の中身の何かが入れ変わったと感じています。だから、活動の意味は変わったんだと思います。言葉にするには時間が必要ですが、次の質問で答えた変化はありました。それもうまく伝えられているか分からないですが。

今までと違うものは見えましたか?ポジティブなものも、ネガティブなもの含め。

 

僕の表現に今まで足りなかったのは、外側から自分に向かってくる力に目を向けなかったことです。今までの僕は自分の内側をジッと見ていました。外というのは、自分以外、それは、社会という群れや自然界からの圧倒的で暴力的な力のこと(9.11や3.11そしてCOVID-19、現在起こっている様々なこと…)です。本来人間はこの暴力的な世界で生きていて、その世界を生き延びなければいけない。今の僕は、外側と内側は分かれていなくて同じ皮膚だということを強く意識するようになりました。自己の内側の裏側は外側で、外から向かってくる力に合わせてその姿も変わっていくものだと実感してます。社会や自然の力が、僕たちの姿をどう変えていくのか、もしくは僕たち自身が内側を変えて外側に影響をあたえていくのか、今後の僕の表現にそのことが顕れてくると感じてます。

 

 

 

他に挑戦したいアイデア・テーマはありますか?それはどういった関心があるためですか?

 

映像、舞台、衣装、etc...なんでも。自分のテーマを様々なアプローチで表現してみたいです。ただ、その為には、その道の人に出会わなければ出来ないことですから、人に積極的に会って話せるように、自分を改造しなければと思ってます。

 

 

 

お気に入りの画材はありますか?それはなぜですか?

 

今は竹ペンと墨汁と藁半紙(わらばんし)。竹ペンは散歩中に竹林で拾って作ります。墨汁は闇の深さが好き。藁半紙は絵具や墨汁を吸って思いもしない滲みあとを作るところ、そこから様々なイメージへと繋がっていくから好んで使ってます。

 

 

 

いま、最も興味を持っているモノ・コトは?

 

呼吸すること。ある日、自分の意思で完全にコントロール出来るのってなんだろうと考えたとき、呼吸だ!と思ったんです。すぐに呼吸の本を読んだけど、凄く奥がが深いんですね。今散歩しながら修行してます。4秒吸って、8秒吐くが第一歩。

今、やりたいことはありますか?それはなぜですか?

 

個展が延期になって、その間緊張の糸がはっていたので多分疲れていると思う。終わったら身体と心を休ませたい。しっかりと深呼吸してから、次のステージへ進みたいです。

 

 

 

読んでいる方に一言お願いします。

 

ANAGRAさんから展示のお話を頂いたとき、それは僕にとってバッチリのタイミングでした。自分の中でつっかえているものを吐き出す場として最高の場所とタイミングだと思いました。そして、そこにコロナの直撃をくらったんですが、それをプラスに捉えるなら、この展示は僕にとってもANAGRAにとってもこの時代に開催された特別な展示のひとつとなるはずです。僕はそのつもりで挑みます。だから、いつもの展示・作品とは何かが違うのです。出来るだけ多くの人にそれが何なのか自問して欲しいし、この時代に生み出された作品として目撃して欲しいと思います。よろしくお願いします。

ジバク の 踊り

KANEKO Shinichi solo exhibition

 

2020 4.8-4.15

open

weekday 3pm-10pm

holiday 2pm-9pm

<ご挨拶>兼子 真一による新作個展「ジバク の 踊り」を開催致します。兼子は現在東京を拠点に活動しているアーティストです。元々彫刻家であった兼子ですが、2013年頃より春画に描かれる手や足をモチーフに作品を制作しています混沌とした日々の中、"世界が終わるまで絵を描く"というドローイングシリーズを続けていました。今の状況でしか描き得ない特別な作品となっています。是非ともお越し下さい。

 

 

<statement>

僕は、世界の成り立ちは"関係"であると考えている。モノやコトが生まれるとき、そこには何かと何かの出 会いがあり、反応があり、目に見えない関わりが複雑に絡み合う。関係は無数に物事を繋げ、その反応は 止まらない。僕たちはこの流れにあがらうことは出来ない。 

 

僕は現在、"関係"をテーマに、春画の手足に着想を得た「the Couple」シリーズを制作している。 2013年、 あるとき、関係について表現も説明もすることができず途方にくれたとき春画に出会った。何故かその手足の繋がりが、目に見えない関係の姿として僕の目に飛び込んできた。それ以来、僕にはこの世界のあらゆる物事が手足のもつれあいに見えている。 

 

本展のタイトルは「ジバクの踊り」である。 ある時、地縛霊という言葉が頭をよぎり、「ジバク」が頭に張り付いてしまった。 場や想いに縛られるのは霊だけじゃなく、生きてる僕らもじゃないか。 僕たちは地縛人。そして、自分に拘って自身を縛る自縛人だ。 全ては"関係"がもたらした網の中だ。この世界は、目に見えない、関わりと交わりのもつれあいなのだ。 そんな世界で人間は、美しく卑しく、生きて死ぬ。僕は壮大な人間の踊りを想像し、そのもがきのリズムを線でなぞり、手足で結ぶ。この瞬間、いつも人間がスバラシイと思うのは、もつれあいながらもその結び目が美しい姿を表すからだ。 

 

本展では、「ジバクの踊り」を主軸に制作した新作を発表します。 

 

 

<Profile>

兼子 真一 / KANEKO Shinichi
1974年生まれ。東京藝術大学デザイン科卒業。東京藝術大学大学院美術研究科デザイン専攻修了。

 "関係"をテーマに、春画の手足に着想を得た「the Couple」シリーズを制作。手足のもつれから、"関係=関わりと交わり"の可視化を試みる。

 

 主な展示は、画廊宮坂(~2019)、AkaneLounge(2018)、岡野弥生商店×カストリ書房(2017)、CREATIVE SPACE HAYASHI(2014)、国登録有形文化財・旧近藤邸(2013)、由布院アートホール(2011)で個展のほか展示多数。アートフェア東京(2016)、英国での彫刻展Fresh air(2013)に出展。その他に、 iichiko(焼酎)の雑誌広告にドローイングが起用されている(2018~)。

 

website: www.shinichikaneko.com

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